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名古屋高等裁判所 昭和57年(ネ)432号 判決

控訴人(一審原告)

浜地功

右訴訟代理人

久保田皓

被控訴人(一審被告)

近藤敏彦

被控訴人(一審被告)

亡近藤たよ遺言執行者水越醸

右両名訴訟代理人

稲生紀

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立

一  控訴人

(主位的請求)

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人水越は被控訴人近藤に対し、亡近藤たよ所有名義の原判決添付物件目録記載の各土地につき、昭和五四年七月二四日遺贈を原因とする被控訴人近藤への所有権移転登記手続をせよ。

3 被控訴人近藤は控訴人に対し、右各土地につき、愛知県知事に対し農地法五条一項三号に基づく届出をしたうえ、昭和五五年三月二一日売買を原因とする所有権移転登記手続をなし、且つ、右各土地を引き渡せ。

4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決。

(予備的請求)

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人近藤は控訴人に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年四月一日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人近藤の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  被控訴人ら

主文同旨の判決。

第二  当事者双方の主張及び証拠の関係

次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一  主位的請求について

民法一〇一三条の趣旨は、相続人(或いは包括受遺者)が複数存在する場合に、遺言執行者が各相続人(或いは包括受遺者)に対して具体的な相続財産を分割帰属させる作業を妨害させないことにある。従つて、本件のように、唯一人に対し全財産が包括遺贈されたような場合には、移転登記手続及び引渡以外には他に特段の執行々為をなす余地がないのであるから、そもそも遺言執行者を設ける必要がなく、従つて、その指定があつても無効であり、仮にそうでなくとも、同条の適用、準用はないものと解すべく、然らずして同条により受遺者の処分行為を全面的に無効とするときは、本件控訴人のような第三者の権利・利益を不当に侵害することとなる。なお、本件につき、亡近藤たよには、被控訴人ら両名を含む相続人八名が存することは認める。

二  予備的請求について

1 民法一〇一三条は、叙上のように他の相続人等の権利を保護しようとするものであるが、そのためには処分行為中、物権行為を無効とすれば足るとするものであり、債権行為まで無効にして、遺言執行者に無断で処分をした当の相続人(或いは包括受遺者)を保護しようとするものではない。従つて、被控訴人近藤は、本件売買契約条項の四項に基づき、控訴人に対し違約金五〇〇〇万円を支払う義務がある。

2 仮に本件売買契約が債権行為としても無効であるとした場合、被控訴人近藤は、同契約条項の五項(契約締結上の過失による損害賠償の予定)に基づき、控訴人に対し金五〇〇〇万円を支払う義務がある。即ち、本件売買契約締結時において、被控訴人近藤は、控訴人に対し、「本件土地は遺言により自分が取得したものであり、何時でも自己名義に登記できるし、他人にも移転登記できる。」と説明し、遺言執行者の存在やその同意がとれないことなどについては全く説明をしなかつたものである。控訴人としては、右の点を調査しなかつたが、被控訴人近藤が「他に買取り希望者が沢山いる。時間が遅れたら、控訴人には売れなくなるかもしれない。とにかく如何なる理由にせよ控訴人に移転登記ができない場合は、違約金を支払う条項を入れておいてもよいから、契約をしよう。」と迫つたので、控訴人は、仕方なく最悪の場合に備えて契約条項に右五項を加え、とりあえず契約を締結したものである。このように、被控訴人近藤は、本件売買契約の締結に際し、遺言執行者の存在及びその同意がとれないことなどについて控訴人に対し説明すべき義務があるのに、これを怠つたのであるから、その結果、控訴人に生じた損害を賠償する義務がある。

3 なお、控訴人は、昭和五五年二月頃、被控訴人近藤及びその代理人と称する吉見安司から、「被控訴人近藤は遺言で相続した良い土地を持つている。控訴人が買つてそこで商売をしてもよいし、転売してももうかると思う。現在被控訴人近藤は少し借金があり、それを清算して残金で喫茶店でも経営したい。この土地の時価は現在坪単価で二五万円位だが、それを二〇万円で売るから買わないか。」などと持ちかけられた。そこで、控訴人は、本件土地を見分し、自己の商売用地としても適当であるし、坪単価二五万円位でなら転売先も見付かると判断し、被控訴人近藤及び右吉見と同年三月頃から買い値の交渉に入つた。控訴人としては、坪単価一八万円位で買い取りたかつたが、被控訴人近藤側が前述の如く他に買取り希望者が多数いるなどと迫つたため、控訴人は、やむなく被控訴人近藤の提示した坪単価二〇万円で買い取ることを承知したものである。以上のような経過からして、本件売買契約締結の際、被控訴人近藤が無思慮、窮迫の状態にあつたとはいえないし、ましてや控訴人が同被控訴人のそのような状態に乗じたとは到底いえない。

(被控訴人ら)

一  主位的請求について

相続人(或いは包括受遺者)が唯一人の場合において、遺言執行者の指定を無効とする民法上の根拠はなく、そして、右の如く相続人らが一名の場合に執行者が選任せられたときといえども、その執行自体は保護されるべきであるから、これを妨げる処分行為は絶対無効である(殊に本件においては、亡近藤たよには、被控訴人ら両名を含む相続人が八名存するから、以上の理は一層然りというべきである。)。

しかして、右遺言執行者の執行々為としては、本件の場合、受遺者に対する所有権移転登記や引渡が存するのみならず、更に重要なことは、これらを何時実施するかという時期選択の判断である。即ち、右たよは、被控訴人近藤に遺贈の意思表示後も、同人が未だ若年未熟のうちに財産の自由処分を行うと、思慮浅薄のため先祖伝来の財産を喪失する結果となることを予見し、それを避けて相続財産の維持存続を願うべく、遺言執行者が右遺贈を具体的に執行するのは、右被控訴人が、右たよの念願を実現するに足る状態になつたときと限定していたからである(乙第一号証の二)。

二  予備的請求について

1 本件売買契約は違約条項を含め全体として無効のものであるから、被控訴人近藤は四項の違約金を支払う義務を負つていない。

2 本件売買契約条項の五項は、四項を含め、遺言執行者の承諾を得るための手段として定められたものにすぎず、被控訴人近藤が真実そのような債務を認めたものではないから、同被控訴人は右五項により控訴人に対し金銭債務を負うものではない。

(新たな証拠)〈省略〉

理由

一当裁判所も、控訴人の本訴請求はいずれも失当と認めるものであつて、その理由は、次に付加するほか、原判決理由に説示のとおりであるから、これを引用する。

1  主位的請求について

本件は、訴外亡近藤たよから本件土地の遺贈を受けた被控訴人近藤が、右遺言の執行者である被控訴人水越に無断で、右土地を控訴人に売却した事実関係を前提として、控訴人がまず主位的に被控訴人らに対し所有権移転登記手続等を求め、これに対し被控訴人らは民法一〇一三条違反等による右売買の無効を主張するものであるところ、控訴人は右法条につき種々の主張をなすので、以下順次判断する。

(一)  遺言執行者の指定の効力について

控訴人は、本件の如く一名の者に全財産が包括遺贈された場合には執行者の指定は無効であると主張するが、本件の場合には右受遺者に対し移転登記手続及び引渡行為をなすべき者が必要のところ、亡近藤たよには被控訴人両名を含め八名(即ち受遺者たる被控訴人近藤を除いても七名)の相続人が存することは当事者間に争いがないけれども、遺言者は、右登記等の執行を、右相続人に託するか又は遺言執行者を指定してこれに託するかは、その自由に決しうべきところと解せられるから、右後者の方法を執つた本件指定はもとより有効であつて、いずれにせよ、遺言の内容が一名への全面的包括遺贈であるか否か、又遺言執行々為が単なる事務的行為であるか否かなどは以上の判断を何ら左右するものではないから、本件は、民法一〇一三条にいう「遺言執行者がある場合」に該当する。

(二)  民法一〇一三条違背の効力について

控訴人は、右法条は主に相続人ないし包括受遺者(民法九九〇条参照)を保護するものであるから、一名の包括受遺者しか存しないような場合には、右法案に違反しても無効とすべきでない旨主張するが、右法条の主たる目的は遺言執行の公正・円滑な遂行を担保するところに在るのであるから、右執行の社会的意義をも考えれば、右法条に違反した処分行為については、同違反者が唯一人の包括受遺者である場合或いはこれと取引関係等に入つた第三者の保護を考慮に入れても、なお右処分行為をもつて全面的に無効と解するのが相当であるのみならず、右法条は、副次的に、相続人ないし包括受遺者が複数の場合、そのうちの処分者以外の者の保護を図る面をも有するところ、本件については、包括受遺者たる被控訴人近藤の外に、少くとも七名の相続人のいることは上記のとおりであるから、これら相続人の遺留分等の権利保護の面からみても、本件処分行為は無効と解すべきである。

(三)  本件遺言の執行々為について

控訴人は、本件執行々為はごく事務的なものにすぎないから、本件処分は右執行を妨げるものではなく有効であると主張する。

しかしながら、本件において遺言執行者の負う義務は、受遺者に対する本件土地の所有権移転登記手続及び引渡であるところ、右移転登記及び引渡をもつて単なる事務的手続とのみ軽視しえないのはもとより、本件については、右各行為実施の時期の判断もまた、その執行の重要な内容を成すものといわなければならない。即ち、〈証拠〉によれば、亡近藤たよは昭和四七年九月一日、自己の孫で養子でもある被控訴人近藤に対し全財産を遺贈する、その執行者として自己の次男(右近藤の伯父)たる被控訴人水越を指定する旨の公正証書(甲第一号証の一)を作成したが、右近藤が未だ若年であること(昭和三四年七月二日生)に不安を拭い切れず、よつて昭和四九年一二月一一日に至り、主に右遺言の具体的執行に関し遺言状と題する書面(乙第一号証の二)を作成したこと、しかして右「遺言状」によれば、「被控訴人近藤への本件遺産の包括遺贈については、同被控訴人がたよの亡夫近藤濱治家の祖先を守り、同家を発展させる状態になつた以後において執行すること、然らざるときは、右近藤家の祖先を守り後を継ぐ者を別に選考する」べき旨記載されているのであつて、要するに、たよとしては、被控訴人近藤が、本件遺産を守つて右近藤家を維持・発展させて行く能力・気構えが備わつたと認められる時期に、本件遺言を具体的に執行せよとしていることが認められ、反証は存しない。従つて、本件遺言による移転登記等は、右趣旨に従つて執行されるべき筋合のものである。

右のとおりであるから、本件遺言の執行は単なる事務的・機械的なものではなく、従つて遺言執行者に無断でなされた本件処分が右執行を妨げるべき行為に当たることは明らかである。

(四)  以上の次第であつて、本件処分、即ち被控訴人近藤の控訴人に対する本件土地の売却処分は、民法一〇一三条に違反する無効のものであるから、右売買契約が物権的にも有効なることを前提として被控訴人らに対し、所有権移転登記手続等を求める控訴人の主位的請求は失当である。

2  予備的請求について

(一)  控訴人は、まず、本件売買契約が少くとも債権的には有効なることを前提として被控訴人近藤に対し、同契約条項の第四項による違約金の支払を求め、そして、右債権的に有効なることの理由として、民法一〇一三条によつて無効とせられるのは物権行為のみと解すべきところ、本件売買契約は単に債権的合意をしたにとどまるから、少くとも債権契約として有効であると主張するが、本件売買契約は、特に債権行為と物権行為とを区別しておらず、右契約によつて、債権、債務の発生のみならず、被控訴人近藤より控訴人への所有権の移転、同移転登記手続及び物件引渡の履行をも直接目的としているものと解すべきであり、従つて本件契約は、同条項第四項を含め全面的に無効であると解すべきことは、原判決説示のとおりであるから、控訴人の右請求も失当である。

(二)  次に控訴人は、本件売買契約条項の第五項による損害賠償を求めるところ、同項は、原判決説示のとおり、相続に関する関係法規により同契約が無効となつて控訴人が同契約締結の目的を遂げられない場合にも、被控訴人近藤は同契約締結上の故意又は過失による損害賠償として金五〇〇〇万円を支払うことを約したものと解せられるところである。

しかしながら、本件売買契約が締結されるに至つた経緯及び締結の際の事情は原判決の判示するとおりであつて(この認定に反する当審における控訴本人尋問の結果は採用できない。)、右契約第五項は被控訴人近藤の無思慮、窮迫の状態下に定められたものであり、しかも約定の賠償金額も実に五〇〇〇万円という高額なもので、本件売買契約の内容から考えて合理性を有しない極めて不当な金額であると認められることに照らすと、右賠償金の定めは、公序良俗に反するものとして、民法九〇条により無効であると解すべく、従つて、控訴人の右請求も失当である。

二よつて、控訴人の本訴請求をいずれも棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(小谷卓男 寺本栄一 笹本淳子)

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